今回の東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたしますとともに、被災者の皆さまに衷心よりお見舞い申し上げます。
平成23年3月11日(金)宮城県民にとっても、日本国民にとっても終生忘れることがない歴史的な一日となった。死者8,535人、行方不明者6,674人、住宅の全半壊66,784棟、住宅以外15,262棟(4.27現在)と未曽有の津波被害に見舞われた。数年前に県の防災対策を指揮する危機管理監にあったが、県の地震防災計画の想定をはるかに超える10メートル以上の超巨大津波の襲来であった。2年前気仙沼地方振興事務所長を勤めたが、アクセスが可能となり、調査に入って目にした沿岸被災地の風景は全くの様変わり、気仙沼、南三陸、本吉、かつての住宅地はガレキの山と化して、多くの知り合いも津波に呑まれた。信じ難い沿岸部の惨状である。
今回は、県内のほぼ全域が電気、ガス、水道、通信、公共交通など、県民生活と密接な多くのインフラが全面ストップ。加えて、沿岸製油所のガソリン供給力が津波で消滅したことで、救助や物資供給に欠かせない燃料が不足するという深刻な事態となった。「ないないづくし」の宮城を更なる打撃が襲う。福島第一原発事故だ。大事故には発展すまいと願ったが、結果はご覧のとおり、願いは虚しく、チェルノブイリを超える深刻なものへと発展した。
仙台市内でガソリン待ちの長蛇の車列が日常光景となる中で、深刻さを増したのが、信じられないことに食料や飲料水の不足だった。大半の店が閉じ、多くの家庭で食料が底を尽き始めた。誰もが、朝早くから給水所に並び、食料品買出しに東奔西走する日が続く。この県民生活の危機に、流通業本来の使命と、大変厳しい交通状態にも関わらず、関西方面から食料、日用品の流通確保に挑んだのが、宮城県生活協同組合連合会である。掛け値なしに感謝の気持ちで一杯である。
震災発生以来、県、市町村、国、関係業界、団体、他県の自治体、いずれも全力で災害対策に取り組んできました。関係者の皆様のご尽力、ご協力に心から感謝を申し上げたいと思います。
震災を乗り越え、地域が再生するには、長い年月とこの間の相当の忍耐力が必要です。立派に復興再生を果たすことが、亡くなった多くの方への弔いともなります。今は悲しみと涙を心にしまい、強い気持ちで復興再生に取組みましょう。日は必ずまた昇ります。